実体を知らないままに目先の利幅を狙えば、日々の変動に怯え、精神的にも資金的にも余裕を失い市場での道を見失いかねない。資産形成は一時的な作業ではない。長い時間をかけ、投資対象とマーケット、そして自分自身と向き合っていかなければならない。それが「長期投資道」だ。
はじめに
・金融業界でのスタート
私は1971年に大手証券会社に入社し、75年から89年までの15年間、米国と日本で証券アナリスト兼ストラテジストとして従事した。
84年までは、ニューヨークで数多くの素晴らしいポートフォリオ・マネジャーの胸を借りて、さまざまな証券分析技法を学んだ。そしてその期間中に、CFA(チャータード・ファイナンシャル・アナリスト)という証券アナリスト資格も取得した。
84年に帰国した後は、投資戦略を策定する部署に配属された。そのときは、米国で学んだ証券分析の技法を日本の市場に用いることで、一歩進んだ投資戦略を打ち出すことができたのではないかと思っている。私がニューヨークから帰国した当時、日本の株式分析は海外と比べると石器時代のような状態だった。
例えば、ある朝の会議で「A社株の動向が面白そうだ」という話で、みんなが盛り上がっていた。理由を聞いてみると、「ライバルのB社に株価が抜かれた」という。「きっと、A社は『黙っていない』だろう」などと話しているのだ。「正直、これは大変なところに来てしまったぞ」と思ったものだった。
それから私は、CFAの資格取得に際して学んだ知識や、現役で活躍する海外のポートフォリオ・マネジャーたちからの教えを仲間に伝えるところから始めた。レポートの体裁も一新して、外国証券会社のレポートにも負けないものを目指した。レポートはもちろん、日本語と英語の両方で作成し、国内外の機関投資家の評価に耐えうるものとしたのである。
ROE(株主資本利益率:株主による資金が、企業収益にどれだけつながったのかを見る指標。1株当たりの利益÷1株当たりの株主資本で算出)という概念すらほとんど浸透していなかった時代である。私や、当時の同僚たちの努力は、日本の株式相場の質の向上に幾分かは貢献したのではないかと自負している。
80年代の終わりになると、バブルの喧騒がかまびすしくなるなか、少しずつ本格的な証券分析も浸透し始めた。しかし証券価値の分析が進むほどに、日本のマーケットがどう理由づけしても「高すぎる」ということを否定できなくなる(個人的に、バブル崩壊の側面は、そういった側面もあるのではないかと思っている)。
・本書刊行のきっかけ
バブルが天井をつける寸前の1989年、私は為替・金利を扱う部署に異動となった。そこで、それまでの部門を去るに際して、私が学んできた証券分析の技法、そして海外の第一線で活躍するポートフォリオ・マネジャーやアナリストの生きざまや投資哲学を後輩たちに伝えたいと思い、89年12月に小冊子『勝者のゲームを闘う法』を自費出版したのである。それが出版社の方の目に止まり、本書の原著である『勝者のゲームを闘う法――株式分析の実戦技法』(東洋経済新報社)が、90年11月に上梓されたのである。
この原著は私の処女作でもあり、日本の証券分析の水準を世界に比肩しうるものにしたいとの願いを込め、共にがんばってくれた後進たちのために書いたものだ。その意味では、これまでの著書のなかでもとても思い入れのある本である。
この度、パンローリング株式会社のご厚意により、この本が再度、形を変えて復刊されることとなった。私としては正直うれしい。もちろん、現在の証券分析のレベルは当時とは比較すべくもなく高度である。パソコンの普及による情報処理量も膨大になった。かつて、ポケット計算機に簡単なプログラムを組み、決算短信の数字を手で入力して財務比率を求めていた時代とは大きく異なる。さらに日本にいるCFA資格取得者も、1100名を超えている。私は現在、日本CFA協会に登録されているなかでは6番目に古い資格保有者になった(ちなみに、全世界には90万人以上のCFA保有者がいる)。
・本書を読まれるにあたって
本書の第1章から第3章までは、原著に若干の加筆・修正を行ったものである。第4章は本書のために新たに書き下ろした。そして、第5章の澤上篤人氏、竹田和平氏との対談は、当社の出版する「インベストライフ誌」に掲載したものを基としている。
なお、第3章に挙げたハリー・セガマン氏は2001年に、ジョン・テンプルトン卿は2008年に逝去された。さらに本書で取り上げた方々にも、大きな変化があったことだろう。そして、金融バブルの吹き荒れたあと、いま、世界のマーケットは廃墟のような状態にある。
日本のバブルが、正常な証券分析により説明できなくなって崩壊したように、世界の金融市場も現在、同じような状態にある。痛手は大きいがこれも「正常化」への貴重なプロセスだろう。
本書で紹介した手法はすでに多くのアナリストにとって常識であり、時代遅れと思う方も多いかもしれない。しかし、CFA資格の創設者であるベンジャミン・グレアム等が著した『証券分析』(パンローリング)が、世界中で愛読され、いまでもアナリストの教科書とされているように、この本に紹介した手法も実に普遍的なものである。世界金融バブルの宴が終焉し、「バック・トゥ・ベーシックス」が叫ばれるいま、証券分析の原点に焦点を当てるのも意味があるのではないだろうか。
本書は、個人投資家が読むうえでは少し難しいところもあるかもしれない。しかし、これから投資家が投資をしていくうえで、大切なこともたくさん述べられていると思う。
特に企業がいかに株主価値を高めていくかというメカニズムについては十分に理解していただきたい。一企業のみでは何が起こるか分からない。しかし、世界中に存在する総体としての株式会社は年々歳々、株主の価値を生み出している。短期的には苦しいときもあるが、長期で見ればやはり世界の経済は拡大し、企業は日々、営々として株主のために付加価値を創造しているのである。
そして、その見通しに基づいて株価は上下に大きく変動する。本書の最初にも述べられているように、株価は影である。影を捕まえようとしても徒労に終わる。長期投資家はただ、総体としての株式会社が長期にわたって作りだす株主の価値に注目していればよい。「株価に惑わされない」。この点こそ、本書で紹介している運用の達人たちに共通する点ではないかと改めて思う。
バブルの嵐が吹き荒れた80年代後半に実務に携わったポートフォリオ・マネジャーやアナリストがどのような考え方をしていたのか、彼らの生きざま、プロとしての倫理感や技量、そして何より、アナリストであることの誇りと仕事への愛着も感じていただければうれしく思う。
煎じつめれば、世界金融バブルの発生と崩壊は、それらの業務にかかわる人々が表面的、短期的な技巧に走りすぎ、プロとしての真の誇り、倫理感、そして行動規範などを見失ってしまったところにもある。その点で本書に取り上げた「勝者たち」から学ぶことは多いのではないだろうか。彼らのコメントを見るにつけ、投資もひとつの「道」であることを痛感する。彼らは皆、道を極めたのだ。
なお先にも記したが、本書の原著は1990年に書かれたものであり、当時の経済、産業、企業および証券市場を前提としている。そのため、現在の状況と差異が生じている点は、ご了承いただくとともに、ご理解を賜りたい。また言うまでもなく、本書に寄稿していただいた各氏の見解も当時のものであることをお断りしておく。
本書の原点である小冊子を作成したときと同じ思いをこめて、新たな読者の方々へ本書を贈りたい。そして、本書が少しでも読者の経済的な自立に役立ち、単なる“お金持ち”だけではない“しあわせ持ち”になっていただけることを願ってやまない。
2009年1月 岡本 和久