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ウィザードブックシリーズ Vol.236

投資哲学を作り上げる/保守的な投資家ほどよく眠る

投資哲学を作り上げる/保守的な投資家ほどよく眠る

2016年5月発売/四六判 198頁
ISBN978-4-7759-7205-2 C2033
定価 本体1,800円+税

フィッシャー3部作
株式投資が富への道を導く 株式投資で普通でない利益を得る

著 者 フィリップ・A・フィッシャー
監修者 長尾慎太郎
訳 者 丸山清志



目次 | 著者紹介

ウォーレン・バフェットにブレイクスルーをもたらした
大事な教えが詰まっている

フィリップ・フィッシャーは全部で4冊の本を執筆したが、本書はそのうち3冊目と4冊目を収録している。1冊目の『株式投資で普通でない利益を得る』([仮題]パンローリングより2016年夏に刊行予定)は20世紀に発売された投資本のなかでベスト3に入る名著であり、フィッシャーの最高傑作であることに間違いはない。

その最高傑作の次に読むべきと息子のケネス・フィッシャーが推薦するのが、4冊目の『投資哲学を作り上げる』だ。現代にも十分に通用するフィッシャーの基本的な考えがコンパクトにまとまっており、読者が自らの投資哲学・投資理論を構築するのには欠かせない金言にあふれている。

『保守的な投資家ほどよく眠る』は、フィッシャーの3冊目の本である。67歳のときに執筆した本書は、死ぬまで約50年間にわたって保有し続けた“フィッシャー銘柄”モトローラについて詳述している。なぜ当時人気のなかったモトローラを、長期保有しないではいられない優れた会社と見抜いたのか、その一点にフィッシャーの特徴がよく表れている。自分が理解できる少数の素晴らしい会社を探しあて、あまりリスクをとらずに長期保有し続けるというフィッシャーの手法は、頻繁に売買する現代の投資家にコペルニクス的転回をもたらすものとなるだろう。



著者紹介

フィリップ・A・フィッシャー(Philip A. Fisher)
息子 ケン・フィッシャー著書
投資家が大切にしたいたった3つの疑問 ケン・フィッシャーのPSR株分析 チャートで見る株式市場200年の歴史
kindle版
1928年から証券分析の仕事を始め、1931年にコンサルティングを主としたフィッシャー・アンド・カンパニーを創業。現代投資理論を確立した1人として知られている。本書を執筆後、大学などでも教鞭を執った。著書に『株式投資で普通でない利益を得る』(パンローリングより近刊予定)、『株式投資が富への道を導く』などがある。なお、息子であるケネス・L・フィッシャーは、運用総資産300億ドル以上の独立系資産運用会社フィッシャー・インベストメンツ社の創業者・会長兼CEO、フォーブス誌の名物コラム「ポートフォリオ・ストラテジー」執筆者、ベストセラー『ケン・フィッシャーのPSR株分析』『チャートで見る株式市場200年の歴史』『投資家が大切にしたいたった3つの疑問』(いずれもパンローリング)などの著者である。

目次

監修者まえがき

投資哲学を作り上げる

フランク・E・ブロックに捧ぐ
はじめに

第1章 哲学の原点
興味の萌芽
貴重な経験
経験という学校で学んだ最初の教訓
基礎を築く
最大級のベアマーケット
やりたいことをするチャンス
惨事から生まれるチャンス
準備は整った

第2章 経験から学ぶ
フード・マシーナリーへの投資チャンス
右と言われたら左へ進め
大勢に逆行する
忍耐と結果
ルールには必ず例外は付き物だが、多くはない
マーケットタイミングの実験
価格にこだわればチャンスを逃す

第3章 理念は成長する
多角的な考察は一つの結論へと導かれた
歴史とチャンス
ビンテージイヤーからの教訓
できることを確実にやる
市場の下落を予測できたら、持ち続けるのか売るのか?
頻繁に売り買いすれば儲からない
配当の長い影

第4章 マーケットは効率的か
効率的市場という誤謬
レイケム・コーポレーション
レイケムの期待はずれ、そして暴落
レイケムと効率的市場
結論

付録

保守的な投資家ほどよく眠る

序論

第1章 保守的な投資の要素一――生産における優位性、マーケティング、調査、ファイナンシャルスキル 一.低コスト生産 二.強いマーケティング組織 三.卓越した調査と技術的取り組み 四.ファイナンシャルスキル

第2章 保守的な投資の要素二――人的要因

第3章 保守的な投資の要素三――一部のビジネスの投資上の特徴第4章 保守的な投資の要素四――保守的な投資の代償

第4章 保守的な投資の要素四――保守的な投資の代償

第5章 保守的な投資の要素四についての補足

第6章 保守的な投資の要素四についての補足その二


監修者まえがき

 本書は成長株投資の開祖であるフィリップ・フィッシャーの著した“Developing an Investment Philosophy”および“Conservative Investors Sleep Well”の邦訳である。これらは著者の書籍のなかで最も新しいもので教理の集大成と言ってもよい。その特徴は成長株投資に関する投資哲学創造の軌跡が綴られていることで、彼の投資哲学が実証主義に基づき行動と経験から導き出されてきた様子が子細に記されている。つまり、はじめに経験的に「金融市場でうまくいく方法」を発見し、次にその構造やメカニズムについて考察し、妥当性の高いモデルを構築する。さらに、それを実際に使ってみて修正を重ね精度を高めていく。ここでの評価指標は、あくまで現実世界においてモノの役に立つか否かであり、これを試みる者は検証・評価・改善のプロセスを繰り返す長い道程を歩むことになる。だが、その分だけ、完成された投資手法は客観的で再現性の高いものとなる。この投資哲学の主張は「これは正しい、なぜなら現場で実証されてきたからだ」である。

 一方で、一般的な投資哲学は経済学の理論からの演繹によって成り立っている。つまり、まず学者が唱えた経済学上の仮説(例えば、効率的市場仮説など)があり、それを所与として、「金融市場はこうなるはず」という推論を導き出す。次に、それを過去のデータに当てはめて理論化する。これは、だれもが聞いたことがある仮説を出発点にしているので感覚的に理解がしやすく、その命題はアプリオリに正しいとされていることから、導き出された理論が真実であるか否かはだれも問わない。この投資哲学の主張は「これは正しい、なぜならもともと正しいはずだからだ」である。

 これら二種類の投資哲学のうち、実際に金融市場で儲かるのは前者だが、他者の資金を運用する立場の(機関)投資家は、顧客への説明が容易であることから通常は後者を選ぶ。本書にあるように、フィッシャーは主観にすぎない机上の空論に批判的であったが、今では圧倒的多数を占める後者の投資家の存在が、前者の投資家が成功する構造をより強固なものにしている。本人が生きていたらこのアイロニカルな現実をどのように見るだろうか。

 翻訳にあたっては以下の方々に心から感謝の意を表したい。翻訳者の丸山清志氏は分かりやすい翻訳を、そして阿部達郎氏は丁寧な編集・校正を行っていただいた。また本書が発行される機会を得たのはパンローリング社社長の後藤康徳氏のおかげである。

 2016年4月

長尾慎太郎


はじめに 『投資哲学を作り上げる』

 私が最初にファイナンシャル・アナリスト・リサーチ財団から、この専門書を書くように依頼されたとき、気持ちは断るほうに傾いていた。現実世界の私は多くのアメリカ人が引退する年齢になっていたが、私は精力的に自分のビジネスで活動を続けていた。これが実年齢のわりには健康と精神的若さを保つことができている重要な要素だと考えている。すでにいろいろな仕事で手いっぱいになっているが、私は自分の時間をさらにこの専門書の取り組みに費やそうと思う。

 そこで、私はこの問題のもう一つの一面について考えてみた。私は個人的にアメリカの自由な起業システムに対して、強い尊重と感謝の念を抱いている。しかし、これは政治家たちの手によって邪魔され、弱められ、その過程が曲解されていった。その政治家たちは経済全体を構築するのではなく、その経済からの恩恵を不自然な形で配分することに精を出した。他人を傷つける行動を制限するだけでなく、国民側から発案することを制限するような規制を数多く作り、経済の全体的な利益が縮小する方向に進んだ。これはすべての人にとって損害となり、特に保護を与えられるべき人にまでその影響は及んだ。しかし、そのような問題に直面しているにもかかわらず、アメリカの自由な起業システムのお陰でわが国民は世界のほかの地域の人々に比べて、かなり高い生活水準を謳歌することができるようになったのである。アメリカの民間起業システムに近いものを実現できている国は二〜三カ国あるのみである。適切な運営が続くという前提であと数年もすれば、このアメリカ式システムによる恩恵を完全に受けられない人は無能な人だけとなり、どの地域でも、どの社会グループでも、どの人種グループでも、枠の外にいる人はいなくなると、思っている。

 しかし、わが国の自由起業システムに対する脅威として、高い地位にいる官僚による脅威とおおむね対等のものがもう一つある。わが国の経済システムは投資に依存している。アメリカ人は貯蓄をリスクにさらすことに意欲的にならなければ、効率かつ生産性を高めるための道具を人間の創意を加えたうえで業界に供給することができない。人々がそのような行動に出るのは、自分のお金を米国企業の株式や社債に投じることが最高の利益につながると、自信をもって言えるときだけである。彼らがこのような感覚を持つのは、そのような行動から毎回ではなくとも長年の間に総じて儲けを手にした場合のみである。

 ここで私は多くの価値がないと思われることに対して、投資界は極めて大きな責任を負っていると考える。株主がダメなアドバイスや惨めな結果から、「もう株はいい」と心に誓ってしまうと、アメリカのシステムが機能するために必要な資金がさらに減ってしまうのだ。私の考えでは、あからさまな不正行為は多くの株式投資家を幻滅させる要因としては小さすぎる。愚かさというものもその一部ではあるが、主要な容疑者ではない。これはむしろ、投資ビジネスにかかわる多くの人が関連する基本原則を理解していないことである。彼らはエネルギーを、実現不可能なものや重要でないものに注ぎ込む。一方、実現可能なことや重要なことを無視する。その人たちのことを考えると、パスツール以前の最も技術のある有能な外科医のことを思い出す。彼らは最高の技術を駆使して功績を残しても、患者が予期せぬ熱病にかかって亡くなったときには自責の念に苦しんだかもしれない。最も優秀な医師でも、手術の前に手洗いをしたりメスを殺菌したりする必要があるということを認識していた人は当時ほとんどいなかった。よって今日でも、投資に関しては専門家の言うことに従い、根本的な力が影響を与えるまで十分な猶予を与えないために、失敗に終わってしまう投資家があまりにも多い。投資の専門家はみんな、良い銘柄の短期的な下落が目前に予想されたとき、あとで安く買い戻すことができるとして、その株を売却するように促すことが多すぎる。私も優秀な証券会社とされている会社から特定の株式を売却し、二割下げたところで買い直すという推奨が出ているのを見たことがある。それはあたかも、だれもが多くの株式の価値を二〇%下げたところで正確に狙うことができると言っているかのようである。無限の精神エネルギーが市場全体での予測につぎ込まれている。しかし市場で起こることは、その市場内の個別の銘柄の値動きに比べると非常に小さい。ある株式が将来的に別の株式よりも大幅に上回るようになるための基本原則は、知られていないことがあまりにも多い。誤った方向に導かれた投資家がお金を失う状況が繰り返されるのだ。このようなことがよく起こると、経済全体のシステムがうまくいかなくなる。

 米国議会では、アメリカ人投資家保護の目的でSEC(証券取引委員会)が創設された。より細かく見てみると、例えば仲介手数料稼ぎのための回転売買を防止したり、明らかな不正行為を撲滅したりする部分では、SECのお陰で数多くの弱い立場にある投資家の何百万ドル分も資金が救われたことは間違いない。しかし、能力不足や市場システムの仕組みを理解していないことで失われたお金のほうがずっと多く、このことを考えるとSECの効果はあまりなかったと言える。その理由を見つけるのはそれほど難しくはない。最近、共和・民主両党の代表はSECメンバーとして主に法人の顧問弁護士を指名した。私の知るかぎりでは、メンバーを指名した政府内でもその指名を承認した上院公聴会でも、指名された人々の投資家としての経験や成功の状況については、まったく注目されなかった。そのような結果にほぼ驚かなかった。SECは誠心誠意の努力をし、投資ビジネスを行う人間を、不誠実なディーラーではなく、誠実なディーラーにうまく育てた事例はいくつかあった。そのためにSECは官僚的で面倒な手続きを数多く作りだしたのだが、そのかなりの部分は非生産的で無意味なもので、そのコストの多くの部分が投資家や消費者により負担されることとなった。しかし、最も誠実なディーラーと付き合いのある投資家でも、長期的に勝つ人が現実的にはほとんどいないという事実を考えるのは大事なことである。ここでの問題は、SECが今の方向性を維持していくとすると、この組織が米国経済システムのために役立つことはほとんどないということだと思う。

 ここ数年の株式投資離れの残念な傾向を見ながら私が感じているのは、これまでの流れを逆転させるためにできることは一つだけあるということだ。一九七〇年代には素晴らしい投資のチャンスがあったが、それは私が投資にかかわってきたそれ以前の四〇年間でも同様だった。必要なことは、何を求めてそれをどのように把握するかについて、もっと多くの人が知ることである。投資界全体としての成績の水準を引き上げる方法は、この知識をできるだけ多くの若い人々に、特に経営大学院に在籍して、いずれは投資ビジネス業界に入ってくる若者に伝えることである。自分の顧客のために、お金の失い方ではなく、稼ぎ方を、すでに投資業界に在籍している人よりも大きな割合を占めることになる新規参入者に理解してもらえば、業界の実績も改善するはずである。したがって、国全体も潤うことになる。

 私はこの一連の専門書の企画が特にファイナンスを学んでいる大学生をターゲットとしているという話を聞き、依頼されている企画を引き受け、成功させようという意欲が強くなった。この専門書は私独自の投資哲学について述べ、正しく行うことのできた事例や、特に間違った事例を通してこの投資哲学が年々どのように発展し変化したかということを説明しようというものだ。

 ここで一点だけ、はっきりさせておくべきことがある。それは私の方法が株式市場で価値ある結果を出すための唯一の方法だという妄想のようなものに、私がとりつかれているわけではないということだ。多くの人にとっては、ここに書いたものが最高の方法ではないだろう。そもそも非常に異なるアプローチが二つあるが、両方とも正しく実行されれば成功率も高く、株式投資でかなりうれしい結果を出すことができる。別の手法は晩年のベンジャミン・グレアムによってうまく説明されている。彼が説明したまま、あるいはいくつかのバリエーションを加えた形で実践されたが、彼を含めて実践した人には大きな見返りがもたらされた。その手法は現時点でかなり過小評価されている株式を見つけるもので、今日これを買えば将来的に内在的な価値が高まっても高まらなくても、いずれは儲かるというものである。私の手法はこれと大きく異なる。私の手法は将来的に内在価値が大きく上昇しそうな状況を見つけだし、二重市場のワナにはまらないようにして買いに多く支払いすぎないようにすれば、いずれはお金が儲かるというものである。しかも、非常に大きな儲けを手にできるというものだ。

 繰り返しになるが、内在価値の将来的な上昇から儲けを手にするために買う手法のなかで、私のものが価値の大きい結果を出すための唯一の方法というわけではない。自分の性格に加え、何年もの間に自分に叩きこんできた規律があるため、この手法が私にとって最高のものとなっているのである。ほかにもある部分では似通っているが、ほかの部分では異なる手法を使い、劇的に良い成果を収めている人も知っている。当然、これらすべての手法は資本の大きな増加を求め、利益からの経常的な所得の大きさをその目的に進んで合わせることができる人にとってお得になるようになっている。

 いずれにしても、私は自分に与えられた仕事を全うするためにできるかぎりの力を注いだ。自分でうまくいったことばかりに頼ろうとも思わないが、実際にはたくさんあった失敗ばかりで飾ろうというわけでもない。本書で述べることすべてが、わずかでも投資ビジネス業界に入ってきた人や入ろうとしている人の手助けとなり、彼ら自身やその顧客のためにより良い仕事ができるようになれば非常にうれしい。

フィリップ・A・フィッシャー

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序論 『保守的な投資家ほどよく眠る』

 正確に測定することは難しいが、本書に述べるとおりアメリカ人投資家の士気は引きぎみの兆候が多方面で現れており、今世紀を振り返ってみても1〜2を争う状況である。知名度も高く、なじみ深いダウ工業株三〇種平均は株式市場の水準の日々の変化を表す優れた指標である。それでも長期的に見た場合、この平均株価は最近株式を保有している多くの投資家が負ってきた傷の全貌を示すどころか、それを隠していると思われる。上場株すべてに起こったことを反映するとされながらも、発行済み株式数でそれぞれの加重平均がとられていない一つの指標が、一九七四年の中間地点で平均的な株式の価格が一九六八年のピークから七割下落していることを示している。

 このような損失を抱えた投資家は、いくつかの大きな集団となって完全に予測可能な行動を取った。一つめの集団は完全に株式市場から撤退したグループである。そのような状況のなかで、多くの企業は驚くほど経営状態が良い。物価上昇の進行が不可避とされるなか、その他の安全とされる投資先と比べて、適切に選択された株式のほうが大幅に低リスクとなる場合もある。そこで特殊な関心を持ったより大きなグループとして、「これからはより保守的な行動をとる」と心に決めた人のグループが登場する。通常、この場合の原理的な考え方として、大企業、つまり会社名がほぼだれにでも知られているような企業に買いを限定することになる。ペン・セントラルやコン・エジソンの名前や、これらの会社がどのような事業をしているかを知らない人は米国では恐らく少数派であろうし、また北東部ではほぼ皆無と言えるだろう。従来の基準で見ると、数年前のペン・セントラルや最近のコン・エジソンは投資先としては保守的な部類に入る。残念ながら保守的に行動するということと、従来どおり行動するということはかなり混同されており、本気で自分の資産を保全しようとしている人たちのためにもこのことについては全体的に大掛かりな解体をして考える必要がある。まず手がかりとして定義は一つではなく、二つ考えるべきである。

一.保守的な投資とは、リスクを最低限に抑えて購買力が保全(維持)される可能性がもっとも高いもの。

二.保守的に投資するということは保守的な投資の構成要素を理解し、そのうえで個別の投資に関して特定の投資手法が実際に保守的な投資であるかどうかの適切な判断が必要とされる一連の行動手順を踏むことができることである。

 次に保守的な投資家になるために、投資家や推奨をもらっている人のどちらかに必要となる要件も二つある。まず保守的な投資に要求される資質を理解していなければならない。それから特定の投資が保守的とされるかどうかを見極めるためにしなければならない調査がある。両方の条件がそろわなければ、株を買う人は幸運であろうがなかろうが、従来のアプローチを取ろうが取るまいが、いずれにしても保守的とは言えないのだ。

 私に言わせれば、このような問題が混同されている状態が今後もずっと棚上げされていくということは非常に大きな問題である。ルールを理解しようとまじめに努力をする人たちが、最近現役の投資家が経験した大不況のような苦しみに遭うようなことは、株主だけでなく米国経済全体にとってももはや許されない。これを越える規模の不況といえば、四〇年ほど前に先代が経験した世界大恐慌くらいだ。今日のアメリカは、過去に例を見ないほど国民の生活様式を改善する機会に恵まれている。そのための専門的な知識やノウハウを確実に持っている。しかし、そのようなことを従来のアメリカ的な手法で行うためには、かなり多くの投資家や投資業界の関係者に対して基本的な原理について真の再教育がある程度必要になってくる。本当に経済的な安心が確保されているから安心だと思う投資家がもっと増えていかないと、新規上場市場の再開はなく、それがないと企業が合法的に株主資本を追加調達し、何か新しいプロジェクトを進めていくための基盤をしっかりと築いていくことができない。これが実現しなければ、残された手は、国内であろうが国外であろうが、官僚的な死人の手で管理され、いつも無駄が多く、非効率で高くつくとされる政府による融資という形で必要なことが進められていくだけである。

 以上のような事情を考えると、私たちは今日の投資家の問題に正面から率直に立ち向かっていくべきであると思っている。本書でこの問題を取り上げるにあたり、私は実の息子であり、タイトルをはじめとして本書の構想にも力を貸してくれたケンの助言からたくさんのことを学んだ。ケンの助力については、この場では感謝の意を十分に伝えきれない。

 本書は大きく四つの節に分けられている。最初の節では、定義の一つめに挙げた保守的な株式投資についての解剖学(この言葉が適切かは分からないが)を取り上げる。二番目の節では現在のベアマーケットの誕生にかかわった金融界の役割(失敗とも言うことができる)を分析する。この批評の意図は単に石を投げるためではなく、将来的には類似の間違いは避けられるということと、最近の間違いを研究すれば特定の基本的な投資原理がはっきりしてくるということを指摘したものである。三番目の節では、定義の二つめに挙げた保守的に投資するために必要な一連の行動について取り上げる。最後の節では、とにかく株が資産を保存するために適した手法なのかどうか、つまりギャンブル以外の目的で株を考える余地がまったくないのかということで、多くの人の心の中に大きな疑念が生まれる原因となっている影響力について取り上げる。

 最近のベアマーケットの原因となった問題によって株式の保有は単にだまされやすい人のためのワナとなっただけなのか、あるいはその場の大衆心理に影響されることなく物事を考えて行動のできる、能力と自制心のある人たちのための素晴らしいチャンスが作り出されたのかという命題に対して、本書が解明の手助けとなれば幸いに思う。

フィリップ・A・フィッシャー(カリフォルニア州サンマテオにて)

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