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ロジャー・マレーの証券分析

ロジャー・マレーの証券分析
バフェットと並び称されるグレアム・ドッドの継承者

著 者 ポール・ジョンソン、ポール・D・ソンキン
監修者 長岡半太郎
訳 者 藤原玄

2023年6月発売/四六判 上製本 374頁
定価 本体 3,800円+税
ISBN978-4-7759-7315-8 C2033

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著者紹介目次まえがき

<必見!>マレーによる伝説の講義を完全収録!
バリューの巨人!

まさに、これぞ、シン証券分析!

 ロジャー・マレー(1911-1998)はバリュー投資の歴史において極めて重要な人物だ。金融のプロであり、エコノミストであり、議会メンバーのアドバイザーであり、教育者であったマレーは、伝説のベンジャミン・グレアムからコロンビア大学ビジネススクールの安全性分析(security analysis)の講義を引き継いだ人物である。同校で何世代もの学生たちを指導したが、そのなかにはマリオ・ガベリ、チャールズ・ロイス、レオン・G・クーパーマン、アート・サムバーグらがいる。

 本書はマレーの多方面にわたるキャリアを魅力的に紹介するだけでなく、マレーが晩年に行った、自身の投資哲学を要約した一連の講義録を収録している。プロの投資家で教育者でもあるポール・ジョンソンとポール・D・ソンキンが、マレーの人生と業績を記録し、そのプロとして偉業、理論的洞察、永続的な遺産を形にしている。彼らが強調するのはマレーの教育哲学と指導ぶりで、かつての教え子たちがマレーの指導や受けた影響を振り返っている。

 本書には、1993年にガベリの講演で開催され、後に投資コミュニティーの伝説となった、マレーによる4回の講義録が掲収録されている。これらの講義に触発されたブルース・グリーンウォルドはマレーに安全性分析の講義を共同で担当するよう願い出た。これは1977年にマレーが引退したあと、衰退していたコロンビア大学ビジネススクールのバリュー投資教育の復活につながった。ジョンソンとソンキンが指摘しているとおり、これらの講義が公開されるのは初めてのことである。これは今日バリュー投資を学ぶ者たち、そして実践する者たちすべてに対する得がたい啓発と素晴らしい教訓となるだろう。


著者紹介


The Enduring Value of Roger Murray by Paul Johnson and Paul D. Sonkin
ポール・ジョンソン(Paul Johnson)
30年以上にわたりコロンビア大学ビジネススクールの非常勤教授を務め、バリュー投資と安全性分析の講義を担当している。彼は、コロンビア・ビジネススクール・パブリッシングが発行した『投資で一番大切な20の教え 賢い投資家になるための隠れた常識』(日本経済新聞出版)の脚注を担当、『ゴリラゲーム』(講談社)の共著者であり、頻繁に『コロンビア・ビジネススクール(Columbia Business School : A Century of Ideas)』に寄稿している。ソンキンとの共著に『パーフェクト証券分析――株式投資でリターンを向上させるための基本ガイド』(パンローリング)がある。

ポール・D・ソンキン(Paul D. Sonkin)
GAMCOインベスターズのファンドマネジャーで、主に中型株に投資するTETONウエストウッド・マイティ・マイツ・ファンドを共同で運用している。長年にわたりコロンビア大学ビジネススクールの非常勤教授を務めた。ジョンソンとの共著に『パーフェクト証券分析――株式投資でリターンを向上させるための基本ガイド』(パンローリング)がある。2001年刊行の『バリュー投資入門――バフェットを超える割安株選びの極意』(その第2版は『新版 バリュー投資入門――グレアムとバフェットを超えるために』[パンローリング])の共著者である。


本書への賛辞

「あなたの成功の要因は、と問われたら、私はコロンビア大学ビジネススクールとロジャー・マレーに負うところが大きいと答える。1960年代初頭に通ったフォーダム大学にもファイナンスを教える素晴らしい教授たちがいた。だが、神のお導きを目の当たりにし、自ら進むべき道を理解したのは1965年にコロンビア大学でマレー教授に出会ったときだった」――マリオ・ガベリ(『M&A 買収者の見解、経営者の異論』[パンローリング]の著者兼GAMCO創業者兼会長兼CEO)

「投資業界での50余年に及ぶキャリアを振り返ると、ロジャー・マレーは自分に多大なる影響を及ぼした人物の1人だったと思う。安全性分析(security analysis)の講義を担当していた彼は主題に対する大いなる愛情を示していた」――レオン・G・クーパーマン(オメガ・アドバイザーズ会長兼CEO)

「生きていると幸運に恵まれることがある。私がまさにその幸運に恵まれたのは1968年にコロンビア大学ビジネススクールでロジャー・マレー教授の安全性分析(security analysis)の講義に参加がかなったときだ……マレーは1958年から1977年の引退まで学生たちを指導した。この間、彼はベンジャミン・グレアムがカリフォルニアに引退するときに引き継いだバリュー投資の伝統を受け継いでいた。マレーの教え子の多くがやがてバリュー投資家として大きな成功を収めた。そしてこの伝統の灯は今日も赤々と燃えている」――ジェームス・ラッセル・ケリー(フォーダム大学ザ・ガベリ・センター・フォア・グローバル・セキュリティー・アナリシス理事)


(本テキストは再校時のものです)

目次

監修者まえがき
まえがき マリオ・ガベリとレオン・クーパーマン
ロジャー・マレー博士への賛辞
序文
謝辞
序論

パート1 伝記

第1章 マレーの最初のキャリア
     バンカーズ・トラスト(1932〜1955年)

第2章 マレーの二つ目のキャリア
     影響力あるエコノミスト(1950〜1998年)

第3章 マレーの三つ目のキャリア
     敬愛されるビジネススクールの教授(1956〜1978年)

第4章 マレーの四つ目のキャリア
     ファンドマネジャー(1965〜1970年)

第5章 民間の年金基金業界の形成にマレーが果たした役割(1950〜1980年)

第6章 『証券分析』第5版(1988年)

第7章 コロンビア大学ビジネススクールにおけるバリュー投資の復活(1993年)

第8章 受賞歴(1999年から現在まで)

第9章 「新」ロジャー・マレー・レクチャー・シリーズ(2000年)

パート2 テレビ・ラジオ博物館での講演

第10章 レクチャー1 価値と価格(1993年1月22日)

第11章 レクチャー2 市場の構成要素と価値(1993年1月29日)

第12章 レクチャー3 株式の価格付けと還元利回り(1993年2月5日)

第13章 レクチャー4 価格と価値の収束(1993年2月12日)

パート3 インタビュー

第14章 ピーター・J・タナスによるインタビュー(1996年)



訳者まえがき

 本書は、共にコロンビア大学ビジネススクールの非常勤教授で、資産運用分野での経験が豊富なポール・ジョンソンとポール・D・ソンキンの著した“The Enduring Value of Roger Murray”の邦訳である。タイトルにもなっているロジャー・マレーは、バリュー投資の哲学で中核的な技術でもある安全性分析(あるいは安全分析――security analysis)の中興の祖で、非凡な金融人にしてコロンビア大学教授でもあり、またアメリカにおける年金制度の改革を推進し、広く国民が安心して暮らせる制度の創出を行った人物だが、本書は彼の伝記、安全性分析の講義録、そしてインタビューで構成されている。

 本書の原題をそのまま日本語に訳すと「ロジャー・マレーの不朽の価値」ということになると思うが、台湾総督府長官や満州鉄道総裁を務めた後藤新平が人物の評価について述べた「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり」という基準に従えば、マレーが個人年金基金の創設に携わっただけではなく、資産運用業界で大きな成功を収めている数多くの弟子を育てた実績を見れば、それは間違いなく永遠無窮の価値を持つだろう。本書のきっかけとなる安全性分析に関する講義も、その後のコロンビア大学での実践的なバリュー投資講座の復活も、マリオ・ガベリをはじめとした教え子たちの努力と熱意によって実現したものであるが、それらも自然なことであると私は思う。

 安全性分析そのものについては、開祖であるベンジャミン・グレアムの手による『証券分析』というオリジナルの解説書(改訂版が逐次出版されている)があるし、その実務については本書と同じ著者らによる実践的なガイドブック『パーフェクト証券分析』があり、実効性の証左の記録としては『バフェットからの手紙』(すべてパンローリング)があるが、本書は歴史的に言ってもその幕明期と現代との間をつなぐ貴重な資料でもある。

 本書を読んでいただければ分かるとおり、マレーは単に傑出した学者・実務家であるというだけではなく、己を捨てて広く社会のためにその知識や力を使い行動することができた人物であった。彼が蒔いた種は今や大きく実を結び、彼の講座はアメリカの資産運用業界に優れた人材を送り出し、数え切れないくらい多くのアメリカ国民が年金制度の恩恵に浴している。そして、彼の意思や成果は本書の著者ら後進の人たちによって引き継がれ、いまもコロンビア大学においてその灯を絶やすことなく繋がれているのである。

2023年5月

長岡半太郎

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まえがき

マリオ・ガベリとレオン・クーパーマン

ロジャー・マレーに捧ぐ

 「あなたの成功の要因は」と問われたら、私はコロンビア大学ビジネススクールとロジャー・マレーに負うところが大きいと答える。一九六〇年代初頭に通ったフォーダム大学にもファイナンスを教える素晴らしい教授たちがいた。だが、神のお導きを目の当たりにし、自ら進むべき道を理解したのは一九六五年にコロンビア大学でマレー教授に出会ったときだった(ガベリ)。  投資業界での五〇余年に及ぶキャリアを振り返ると、ロジャー・マレーは自分に多大なる影響を及ぼした人物の一人だったと思う。安全性分析(security analysis)の講義を担当していた彼は主題に対する大いなる愛情を示していた。今でも私は、一九七七年に彼が送ってくれた手紙を部屋の壁に飾っている(クーパーマン)。

 われわれはサウスブロンクスの同じ地域で育ったが、当時そこにはユダヤ系やイタリア系の移民が数多く住んでいた。われわれはビジネススクールで親友となったが、五五年が経過した今でもそれは変わらない。われわれは毎日ブロンクスからコロンビア大学まで一緒に通ったものだった(クラスメートのアーサー・サムバーグも一緒だった)。われわれは株式が大好きで、投資アイデアについて議論を戦わせるのが好きだった。だが、二人の意見が一致していることがある。それはロジャー・マレーがわれわれの投資キャリアと人生に多大なる影響を与えてくれたことだ。

 われわれはハイ・フィッシュマンという株式ブローカーを利用していた。当時ビジネススクールには公衆電話が一つしかなかったので、講義の合間にどちらが先に電話までたどり着き、フィッシュマンに株式の注文を出せるか競ったものだった。

 マレーは一九五八年から一九七七年までの三〇年間、コロンビア大学で投資家たちに教鞭を執った。だが、彼の引退後、コロンビア大学もビジネススクールも、ファンダメンタルズの証券分析(「Stock analysis」)から効率的市場仮説にカリキュラムを変えてしまったので、だれもロジャーの安全性分析の講座を引き継いでいなかった。残念なことに、一九二七年にベンジャミン・グレアムが始めたコロンビア大学のバリュー投資の優れた伝統は失われてしまった。

 一〇年後の一九八〇年代後半、われわれと幾人かのかつてのマレーの教え子たち、そしてチャック・ロイスやロバート・ブルースなどの著名なバリュー投資家たちの間で、コロンビア大学でバリュー投資の講義を復活させようという声が高まった。一九八八年、われわれはアーサー・サムバーグとともにニューヨーク市のロトスクラブでグレアムとドッドの『証券分析』(パンローリング)の第五版の出版を祝うパーティーを開いた。マレーはシドニー・コトルとフランク・E・ブロックとともにこの本の編集をしていた。

 われわれは何年にもわたりマレーと連絡を取り続けていたが、それは彼との関係を維持することがわれわれ二人にとって重要だったからだ。マレーが年齢を重ねるにつれ、ガベリは彼に何かが起きたら、その教えは永遠に失われてしまうと懸念するようになった。ガベリは何らかの方法でマレーの教えを残す必要があると考えた。彼はマレーの知見を一つには生きる伝説として記録したいと思っていたが、彼の教えは極めて重要なので、将来の世代のために記録に残そうと考えた。

 一九九二年ごろ、マレーをニューヨークに呼び、講義を記録できないかと考えた。そして、そうすることが新世代のバリュー投資家たちに刺激を与えることになるのではないかと考えた。自らの影響力がいつ消滅するかは分からないが、マレーはわれわれ二人に多大なる影響を与えたのだ。

 その結果、ガベリ・アセット・マネジメント・カンパニー(GAMCO)がニューヨーク市のテレビ・ラジオ博物館でロジャー・F・マレー・レクチャー・シリーズを主催することになった。一九九三年の一月から二月にかけて、ロジャーは毎週金曜日に九〇分にわたる講義を四回行った。当時マレーは八一歳だったが、彼はメモ一つ見ずにすべての講義を行った。

 今になって考えれば、一九九三年の講義がコロンビア大学ビジネススクールにおけるバリュー投資復活の火付け役となった。われわれは当時ビジネススクールの学長を務めていたマイヤー・フェルトバーグをこれらの講義に招待した。そして、フェルトバーグが新任教授だったブルース・グリーンウォルドを招き入れた。

 講義に感銘を受けたグリーンウォルドはマレーに教壇に戻るよう説得した。マレーの約束を取り付けたグリーンウォルドは一九九三年秋、「ファンダメンタルズ・オブ・インベスティング(The Fundamentals of Investing : Approaches to Value : An Advanced Seminar)」と銘打った新しい講座を開講し、マレーと共同で教鞭を執った。これがマレーがコロンビア大学の教壇に立った最後である。講座は大成功を収めた。その後、グリーンウォルドは二〇一八年に引退するまで二四年にわたり講座を担当した。  マレーは一九九六年五月一八日にGAMCOの資産運用殿堂入りを果たした。その夜、アメリカ自然史博物館でのフォーマルな夕食会で、GAMCOの顧客たちに富をもたらすうえで彼が果たした貢献が称えられた。GAMCOの資産運用殿堂は一九九一年に設立され、株主価値の増大に多大なる貢献を果たした個人を顕彰している。

 GAMCOは二〇〇五年にグレアム・アンド・ドッド・・マレー・グリーンウォルド・アワード・フォア・ディスティングッシュド・バリュー・インベスターズを立ち上げた。これは毎年GAMCOの顧客向けシンポジウムの場で表彰される。  二〇一三年四月一七日、フォーダム大学のガベリ・スクール・オブ・ビジネスとコロンビア大学ビジネススクールは共同で、バリュー投資ならびに長年にわたりこの投資手法の発展に寄与している男女の表彰を行った。このイベントは「バリュー・インベスティング・20・イヤーズ・レイター――ア・セレブレーション・オブ・ザ・ロジャー・マレー・レクチャー・シリーズ1993〜2013」と銘打たれた。ガベリ・アセット・マネジメント・カンパニーの後援のもと、マレーが二〇年前に講義を行ったマンハッタンのペイリー・センター・フォー・メディアで開催された。講演者たちは、今日に至るまで民間の金融界、フォーダム大学とコロンビア大学の学術界にマレーがいかに影響を与えているかについて語った。

 われわれ二人はかつての指導教授であるロジャー・マレーに多大なる恩恵を受けている。

 2022年2月

マリオ・ガベリ
レオン・クーパーマン


■ロジャー・マレー博士への賛辞

ジェームス・ラッセル・ケリー

 生きていると幸運に恵まれることがある。私がまさにその幸運に恵まれたのは一九六八年にコロンビア大学ビジネススクール(CBS)でロジャー・マレー教授の安全性分析(security analysis)の講義に参加がかなったときだ。当時マレーは非常勤教授で、一九六五年にS・スローン・コルト・プロフェッサー・オブ・バンキング・アンド・ファイナンスの寄付基金教授職を辞し、CREF(大学退職株式基金)に参画していた。

 一九六〇年代後半のアメリカはベトナム戦争の反対運動が猛威を振るい、コロンビア大学はその中心地だった。一九六八年四月、民主社会学生同盟(SDS)コロンビア大学支部のリーダーで元学生のマーク・ラッドが学生暴動を率い、参加者たちはキャンパスの四つの建物を占拠し、大学全体を閉鎖すると脅した。

 私は、ある朝、地下鉄の一一六丁目駅からコロンビア大学の正門を抜け、ロウ記念ホールからコロンビア大学ビジネススクールのあるユリスホールまで歩いたことをはっきりと覚えている。民主社会学生同盟のメンバーがロウ記念ホールに押し入り、学長の事務所を荒らしていた。私が教室に向かっていると、学生たちは窓から身を乗り出していた。これら学生たちの反対運動は私にはとりわけイラ立たしいもので、ビジネススクールのクラスメートのなかにはコロンビア大学に入学する前にベトナムで従軍した者も幾人かいた。数日後、ニューヨーク市警察が介入し、抗議運動の参加者たちを建物から強制的に排除した。

 このエピソードはフォーブス誌に「ザ・ウィズ・キッズ」というタイトルの記事で伝えられた。そこではビジネススクールの勇敢な学生たちが描き出されるとともに、一九六九年の講義に参加した学生の並外れた能力が取り上げられていた。そのなかにはKKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)創業者のヘンリー・クラビス、クリントン大統領の首席補佐官を務めたアースキン・ボウルズ、デルファイ・オートモーティブCEO(最高経営責任者)のJ・T・バッテンバーグ、コーチCEOのルー・フランクフォート、キダー・ピーボディ会長のマックス・チャプマン、シアーソン・リーマンCEOのピーター・コーエンなどがいた。

 マレー教授も学生たちと同様に恐ろしい思いをしたのではないかと思うが、彼は極めて毅然と対応していた。彼は講義の内容に集中し、いかなる政治的発言も行わなかった。  今日の読者には、この時期のマレー教授を取り巻く指導環境の異様さなど想像もできないだろう。それは社会が暴力的な混乱に陥っていた時代だった。コロンビア大学の学生暴動だけでなく、一九六八年四月四日にはマーティン・ルーサー・キングが、一九六八年六月五日にはロバート・F・ケネディが暗殺された。そして、一九六八年一一月七日にリチャード・ニクソンが大統領に選出された。

 当時、安全性分析を学ぶ学生が用いた方法がどれほど原始的だったかも想像できないかもしれない。

 一九二七年、コロンビア大学でベンジャミン・グレアムとデビッド・ドッドによって一つの不朽の理論が初めて教えられた。その後、ロジャー・マレー教授、ブルース・グリーンウォルド、そしてタノ・サントスがこれを継承した。今日、バリュー投資として知られる理論だが、企業の本源的価値を割り出すことを目的としたファンダメンタルズの安全性分析である。

 この素晴らしい本を読むことでやがて学ぶことになるだろうが、マレーは学界、そして金融界の類いまれなるリーダーだった。私は今でも鮮明に彼のことを思い出す。彼は一七七センチほどで、とても細く、いつもダークスーツに白いワイシャツとフォーマルな装いで、ファイ・ベータ・カッパの鍵が誇らしく印されたネクタイをしていた。

 彼の指導方法も丁寧で、それが当時は標準的だった。講義のスタイルとは対照的に、彼はフレンドリーで、気さくな指導者だった。私は講義後でも、卒業後でも、アドバイスを求めて何度も会った。

 また、採点はすこぶる厳しかった。私は期末に当時人気のハイテク株だったラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(RCA)の調査リポートを書いたことを覚えている。彼のコメントは問題の核心に切り込むもので、私が収益性を測る主要な変数を見いだすことができていないと指摘した。その批評を受けて以来、私はより集中的な分析を行うようにしている。

 マレーの講義で繰り返し取り上げられた主要テーマが、急速に増大する年金基金が社会にもたらす影響だった。若き学生の一団にとって、年金基金はけっして魅力的な話題ではなかった。われわれは、マレーがCREFでの年金基金の運用、そしてキーオプラン(自営業者退職年金制度)や個人年金口座(IRA)などの立法において大きな役割を果たしていたことをほとんど知らなかった。

 マレーは一九五八年から一九七七年の引退まで学生たちを指導した。この間、彼はベンジャミン・グレアムがカリフォルニアに引退するときに引き継いだバリュー投資の伝統を受け継いでいた。マレーの教え子の多くがやがてバリュー投資家として大きな成功を収めた。そしてこの伝統の灯は今日も赤々と燃えている。

ジェームス・ラッセル・ケリー
コロンビア大学ビジネススクール(一九六九年卒)


■序文

 一九九三年、ニューヨーク市のテレビ・ラジオ博物館(MT&R。現在のペイリーセンター)で行われたロジャー・F・マレーの一連の講義から二五年が経過したことが本書を認めるきっかけとなった。ロジャー・マレーはコロンビア大学でベンジャミン・グレアムから今日のバリュー投資に至る橋渡しの役割を果たしたので、彼の伝記を記すことは重要だと考えていた。

 簡潔に記すと、物語はマレー教授がベンジャミン・グレアムから安全性分析(security analysis)のセミナーを引き継いだ一九五六年に始まる。グレアムが講義を始めたのが一九二七年だが、マレーはその後二一年にわたり、延べ二〇〇〇人以上のMBA(経営学修士)の学生を指導し、その多くが投資家として大きな成功を収めている。残念ながら、一九七七年にマレーが引退したとき、講義を引き継ぐ者がおらず、一六年間休眠状態となった。すでに引退していた一九九三年、マレーはマリオ・ガベリの求めに応じ、九〇分間の講義を四回行った。講義に参加していたブルース・グリーンウォルド教授は、一九九三年秋にコロンビア大学ビジネススクール(CBS)で最後の講座を担当してくれるようマレーを説得した。この講座がきっかけとなり、コロンビア大学のバリュー投資の講義が復活した。

 われわれはまた、マレーを歴史的な文脈のなかでとらえることが重要だと考えていた。グレアムが安全性分析を教え始めた当時、プロの証券アナリスト(当時アナリストはスタティスティシャンと呼ばれていた)などほとんど存在しなかった。『証券分析』(パンローリング)の第一版が出版されたのは一九三四年だが、その同じ年に一九三四年証券取引所法がアメリカ議会を通過した。それは安全性分析とバリュー投資のプロ化の始まりだった。グレアムは素晴らしい教師だったが、投資家としても熟練のプロだった。これらの能力が結び付いたことが講義の成功には重要だった。一九五六年にマレーがコロンビア大学ビジネススクールで教鞭を執るようになるころには、資産運用は機関化し、アナリストという職業も著しく洗練されたものとなっていた。マレーもまたプロの投資家として成功していた。だが、マレーは大手金融機関のバンカーズ・トラストでプロとしてのキャリアを過ごしたので、彼の経験はその点でグレアムとは異なっていた。マレーは機関投資家として訓練を受けており、その規律を教室に持ち込んだ。実際に、マレーが厳格さと規律を重視したことこそが、彼がバリュー投資にもたらした最大の貢献であり、学生たちに与えた最も大きな影響だった。

 われわれ二人は一九九〇年代初頭からコロンビア大学ビジネススクールのバリュー投資の講義に関わっているので、本書のプロジェクトには魅力を感じた。ポール・ジョンソンは一九九二年秋に初めて安全性分析の講座を担当した。本書の作成に入った時点で、彼が非常勤教授となってから三〇年余りを経過しており、担当した通期の講座も一五回を数えている。その間、彼はおよそ三〇〇〇人のMBAやエグゼクティブMBAの学生たちにバリュー投資と安全性分析を指導してきた。ポール・ソンキンは一九九五年五月にコロンビア大学ビジネススクールを卒業し、MBAを修得した。彼は就学中そして卒業後に、二つの講座をジョンソンから引き継いだが、彼は一九九五年秋にジョンソンの助手を務めていた。ソンキンは一九九六年秋に非常勤教授となり、ファンダメンタルズの調査技術に関するセミナーを担当した。その後、一九九八年秋には学内で初めてアプライド・バリュー投資(AVI)の講座を開設した。ソンキンは非常勤教授として一七年間教鞭を執った。

 ジョンソンは、大学の一〇〇周年を祝して出版された『コロンビア・ビジネス・スクール(Columbia Business School : A Century of Ideas)』で名誉教授のブルース・グリーンウォルドとともにコロンビア大学におけるバリュー投資の歴史について記した。ソンキンは、マレーの一九九三年の講義から二〇周年を祝して、二〇一三年にコロンビア大学でのバリュー投資の講義に対してロジャー・マレーが果たした役割の記録を調査した。マレーの伝記を記すことは、われわれがこれまでに行った調査からの自然の流れだったのだ。

 ポール・ジョンソンもポール・ソンキンも、プロの投資家として、そして教授としてブルース・グリーンウォルド教授との関係から大いに恩恵を受けた。すべての物語は本文に譲るが、簡単に記せば、グリーンウォルドは、一九九三年に当時のコロンビア大学ビジネススクールの学長だったマイヤー・フェルドバーグの誘いに応じてマレーが行った講義に参加していたのだ。グリーンウォルドはマレーの講義の気品と明瞭さに魅了されるあまり、一九九三年秋にマレーを招き入れ、バリュー投資の講座を共同で担当することを決めた。その後、この講座がコロンビア大学におけるバリュー投資の講義の復活に資することになる。ソンキンは一九九四年秋のグリーンウォルドの講座を履修した。ジョンソンとソンキンはグリーンウォルドが研究休暇に入った一九九七年秋に講義を共同で担当した。そして、ジョンソンはグリーンウォルドが再び研究休暇に入った二〇〇四年に再度講義を担当した。ソンキンとグリーンウォルドは共同で『新版 バリュー投資入門』(パンローリング)を著した(初版は二〇〇一年)。これは二人の著者の長年にわたる実り多きコラボレーションの賜物である。

 われわれは二〇一七年に共同で『パーフェクト証券分析』(パンローリング)を執筆したが、本書で再び協力できることを喜んでいる。われわれは読者がマレーの人生、慈善活動、民間の年金基金業界に対する情熱と貢献、安全性分析の進歩に与えた影響、生涯にわたる教育への献身、そしてバリュー投資に対する彼の情熱が今日でもコロンビア大学ビジネススクールで生き続けていることを楽しく学んでくれることを願っている。この伝記を完成させた今、われわれは、ロジャー・マレーは真に偉大な人物であり、彼の物語は語られてしかるべきだと考えている。


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